梅ログ

オレにさわるとあったかいぜ

叩き壊すおもちゃ、ピニャータをエビフライにしたい

f:id:komeumeko:20190211163448j:plain

クリスマスや誕生日などのお祝いの日にピニャータという紙製の人形を吊るし、それを棒で叩き割るという遊び、『ピニャータ割り』がメキシコを中心とした中南米に存在するらしい。

自分の誕生日を祝おうと調べていたら辿り着いたそれは、幼い子供が好みそうな動物やアニメのキャラクターなどを模した可愛らしい形をしていた。中にはお菓子が詰められているという。

 

f:id:komeumeko:20190204165058j:plain

表面はカラフルな紙で作られたフリンジに覆われている物が多いようで、ふさふさのあいつも無毛のそいつもふさふさしている。

そんなふさふさのピニャータをパソコンの画面越しに眺めていると、筆者の中の名古屋の民が囁いた。

 

―あのフリンジ見てみい、どう見たってエビフライの衣だが。と。

 

筆者は名古屋の出身である。名古屋の民はエビフライを「えびふりゃあ」とは言わないし名古屋飯だと思ってもいないが、サンドウィッチにしてみたり味噌に着けてみたりと街はエビフライ愛に溢れている。特に大きなエビフライは特別な日のご馳走だ。個人的には人様からエビフライを頂いてしまったら無条件でときめいてしまう自信がある。が、他の地方の人にとってはそこまでの料理ではないということを知った時は衝撃であった。

思いついてしまったあとの数日は会社にいい感じのダンボールが発生するのを待った。エビフライを作るためだ。 上司に持ち帰りたいことを伝えると用途を聞かれたので素直に「海外でお祝いの日に作るという紙人形を作りたい」と説明したがエビフライの形にすることは黙っておいた。上司は名古屋の民ではないからだ。

 

f:id:komeumeko:20190131004639j:plain

無事手に入れた段ボール。切り込みを入れて十字になるように繋ぎ合わせていく。

実際のものがどんな構造かは分からないが、紙でできていて、最終的に壊れるものを正解とした。


エビフライには丸まったものや頭付きのものなど種類はあるが、思い浮かぶのは地元名古屋のデパ地下に並ぶやけに背筋の伸びた無頭のエビフライだ。

あれは長く大きいほど良いものなのだと愛知県民は学習している。いつかおこづかいで買いたいと憧れたあのエビフライを想いながら、ダンボールを長めにつなぎ合わせた。

 

f:id:komeumeko:20190131005447j:plain

ダンボール同士がうまくはまらなかったり、強度に不安がある部分はガムテープで固定する。完成をイメージしながら切り崩してみると、どことなくそれらしいビジュアルが現れた。

 

f:id:komeumeko:20190131010752j:plain

作業が進めば進むほどエビフライらしいエビフライにしようという気持ちが強くなる。決意のまま骨組みの上に側面となる新たなダンボールを麻紐で縛って固定した。形が崩れる様子はほとんど無く、逆に丈夫過ぎる気がして心配になる。情緒が不安定である。恋かもしれない。

お菓子を入れるため、そして強度が必要以上に上がってしまうことを防ぐために側面の4割程度はダンボールを貼らずに開けておき、このあと下地として全体に貼り付ける藁半紙で塞ぐことにした。

 

f:id:komeumeko:20190211014206j:plain

当日のお楽しみ、お菓子ラインナップは小包装された飴やチョコレート、ゼリーや小魚、甘納豆など。叩かれても壊れなさそうな物を選んだら祖母の家で出してもらえるような物が揃い、つい故郷が恋しくなってしまう。

 

f:id:komeumeko:20190131011341j:plain

買われて早々に段ボールの半個室に詰められるとは思ってはいなかっただろうお菓子たちの気持ちを推し量りながら、藁半紙と水糊で蓋をしていった。

 

f:id:komeumeko:20190201003626j:plain

お菓子を閉じ込める作業を終えると真っ白なエビフライが現れた。揚げる直前の粉を纏ったエビのようだ。少し無骨だが沢山叩いてくれと言っているように見えて頼もしい。軽く叩いてみると、タンバリンのようなパンっとした気持ちの良い音がした。

 

f:id:komeumeko:20190201004335j:plain

ラストスパート。エビフライをエビフライたらしめる衣付け、フリンジ付けの段階に突入である。色のついた紙テープに延々切れ込みを入れ、貼り付けていく。

 

f:id:komeumeko:20190211174426j:plain

尻尾の部分に負担がかかるのが怖くて立ったりしゃがんだりしながら作業を進めたがこれが地味に足腰に負担がかかる。何週しても終わりが見えず、じっくりと疲労が蓄積されていく。無間地獄かのように思えたひとときだったが、フリンジ付け開始から時計の短針が一周回る頃、ついに思い描いた姿を現した。

 

f:id:komeumeko:20190202211647j:plain

 一月某日、期待と不安とエビフライを胸に抱え、駅前で人を待っていた。

どうせなら自分だけでなく他の人のお祝いもしたいと思い、誕生日が近いハッピーな人達に声をかけたのだ。

参加者には事前に軽く説明はしたが、私含め全員初ピニャータである。吊るして叩くその現場がどんな空気になるのかも想像できなかった。果たして日本生まれ日本育ちの大人たちは楽しむことができるのだろうか。

 

f:id:komeumeko:20190202213027j:plain

会場は夜の公園。

ピニャータ割りの起源は諸説あり、その一つに、可愛い紙人形に化けた悪魔を追い払うために叩くというゲームをクリスマスのミサで行ったのが始まり、というものがある。

そんなインターネット知識を頭の片隅で思い浮かべながら吊り上げたピニャータは暗闇の中ゆらゆらと揺れ、まさにこちらに襲いかかるタイミングを図っている大きな悪魔のように見えた。

それと同時に、吊り上げられたエビフライは腕の中で見るよりもエビフライらしく見え、闇夜に溶け込んだ不気味さと、それを自分が作ったという自画自賛で楽しい気分になってくる。

 

f:id:komeumeko:20190211000847j:plain

参加者達は誕生日を祝い合うよりも先に「エビフライ...」「でっかいエビフライ...」と口々に漏らし、ウォーミングアップに素振りを始めていた。

その様子にメンバーの懐の深さとピニャータ割りの素質を確信。

 

なお今回ルールは、本場ではこの遊びの際に歌うらしい『ピニャータのうた(Piñata)』音源をかけ、一人ずつ順番に歌が終わるまで頭上に括り付けたエビフライを叩き続ける。出てきたお菓子はその時叩いていた人のものとする、ということにした。

小さな資本主義経済が誕生したところで、大人ばかりでよってたかってエビフライを叩く宴の始まりである。

 

f:id:komeumeko:20190211002119j:plain

 ♪ Dale dale dale  ダレ ダレ ダーレ (打て 打て 打て)

♪No pierdes el tino  ノー ピェルダス エル ティーノ (的を外すな)

 

異国感溢れるスペイン語の音楽が流れているその時間はおよそ30秒。

構え方や叩き方、叩いた時の音に剣道などの剣術経験の有無や体格、日頃の鬱憤の溜まり具合が垣間見える。容赦ない。

 

f:id:komeumeko:20190211003925j:plain

筆者の番。木刀を手にピニャータを見上げると緊張感が走った。「どう壊してやろうか」という高ぶりからの緊張である。

最初から破壊することを前提とした物だからだろうか。むしろ誰よりも一番ぶっ壊したいという気持ちが芽生えていた。

 

f:id:komeumeko:20190211003151g:plain

音楽が流れだすと同時に木刀を力いっぱいめちゃくちゃに振り回す。

しかしダメージは小さいようで、その身は崩れず打った木刀をばいんと弾き、反撃をするかのようにそのまま勢いよくこちらへ飛んできた。他の人が叩いているのを見ている時には気づかなかったが、避けたり弾かれたりと思いの外必死になった。

 

f:id:komeumeko:20190211004610j:plain

二周に突入する頃、それまでは叩いている人を眺めていた参加者達が動き出した。

一人は「ダレダレダーレ」と歌を歌い、また一人はその歌に合わせ舞い踊り、さらに剣術経験者は順番を次に控えた者に打ち方の指導を始めたのだ。

これはピニャータに化けた"悪魔の力"なのだろうか。悪魔払いが起源のゲームによって、逆に魔に憑かれたようだった。

 

f:id:komeumeko:20190211165146j:plain

なかなか丈夫に思われたエビフライだったが、ゲームを進めていくうちに少しずつダンボール片へと姿を変えていった。

 

f:id:komeumeko:20190211004251j:plain

破壊が進むにつれ、どんどんお菓子が飛び出す。あっちこっちに飛んでいくので一人叩き終わるごとにお菓子を拾う作業が入る。沢山拾ったとしてもルール上叩いた人の物になるのだが、それはそれとして落ちているものを拾うというのが楽しい。

 

f:id:komeumeko:20190211004849j:plain

容赦無く叩かれ続けたエビフライはついに木っ端微塵に。

結局自分ではあまり壊すことはできなかったが制作と破壊で蓄積された疲労感はどこへやら、清々しい気分であった。

参加者の一人がお菓子の山を手にこんな感想をくれた。「夜の公園で大人がエビフライを叩きまくる姿は、誕生日会というよりは魔女の集会のようだった」と。こうして歌い踊って巨大なエビフライを叩く誕生日会は幕を閉じた。 

 

「ストレス発散になる」「お菓子も貰えて嬉しい。またやりたい」と参加者にはとても楽しんでもらえた様子だったが、ピニャータを作りたいという欲求は湧いてこなかった。エビフライ型ピニャータに化けた悪魔と共に、それを作りたいと主張した私の中の名古屋の民も満足し去っていったようである。