2020年の米田梅子仕事まとめ
こんにちは、米田梅子です。
2020年に行った仕事をまとめました。
※ここでいう「仕事」は、本業の会社勤めとは関係のないものを指します。
■WEBライティング
・祖母をインタビューしました
DPZ初掲載(デビュー)記事。
普通のおばあちゃんの話、おもしろい記事になるかな…?と恐々書きましたが大丈夫でした。「身内の話を聞いてまとめてくれるサービスがあったらいいのに」という感想をいただきましたが本当にそう思う。でもできるなら自分で聞いた方が絶対にいいよ。
・空気イスのチャンピオンになりました
身近にあるものを使えば、超絶技巧な空気イスが簡単にできます。
いろんなところで写真を撮るのがたのしかった。ライティングの右も左もわからなくて迷走しながら書いたけど、アイデアは気に入ってる。
・ばかばかになりました
500文字の記事。これくらい短い記事を書いたことがなくて、長文記事とは別の意味で大変でした。折り紙がちゃんと泳いだのでよかったです。
・自分に囲まれて酒を飲みました
ほぼ等身大の自分のパネルを自作してお酒を飲みました。
見た目には愉快なんだけど、一緒に暮らしてみると結構こわいです。
・浴室で仕事をしました
本当におすすめ。でも冬場は寒いのでやめといたほうがいい。
・ホースでゼリーを作りました
あんまり同意を得られなかったのですが、ながーいガムとか、グミとか、チョコとか。規格外のお菓子って夢の食べ物だったじゃないですか。あれの延長戦です。
……って書けば良かったのかも。
敢闘賞をいただいた記事です。
・パソコンとデートをしました
IT戦士から多く共感いただけた記事。狂気系とかいろいろ言われましたが正気です。
ハードとの距離が近いIT企業に勤めてるとこうなるぞ。
数年前、かわいい友人に頼み込んでゲーミングパソコンとデートしてるポートレート写真を撮影させてもらったのが元ネタ。
・人の家のごはんを食べました
人の家のご飯を食べたいときってあるじゃないですか。という記事。
大勢の方にご協力いただいて恐縮しきり。各家庭の料理にまつわる思い出も知ることができておもしろかった。
情報集めの時点で欲張ったせいもあり、執筆はハードでした。
・紙に包むお好み焼きを紹介しました
地元愛知の記事。ローカルネタを紹介する漫画や料理本でも紹介されていますが、意外と知られてません。名古屋でしか食べられないわけではないようなので、もしかしたら県外でも見つけられるかも。
地元が好きなので愛知の記事はまた何か書きたい。
・変わった味のあんこについて聞きました。
あんこを作っている茜丸さんにインタビューしました。
カラフルなあんこをたくさん試食させて頂いた。どれも再現度が高くてびっくり。
初の外部インタビューですごく緊張した。いつか慣れるのかな。
・香水を説明する文章をおもしろがりました
香水の説明文とは、視覚で感じる夢。もしくは平凡で特別なあの日の記憶。
瞬く星のような言葉の数々が、あなたをロマンチックなラビリンスへいざなう。
そんな記事。
・親に好きな食べ物を聞きました
DPZのカレンダーをPRするための企画。
ほぼ米田家大集合です。
・リモートで友人たちと大掃除をしました
自由な性格の三人がビデオ通話をしながらわちゃわちゃ掃除している様子をまとめました。掃除に対する向き合い方が皆バラバラで、とても自由。楽しかったです。
清潔リセットは特に、本当によいもの。
初のDPZ以外の媒体での記事。イラストも描きました。
■その他
・似顔絵
2点作成。私の普段の絵柄で良いとのことだったので描かせていただきました。
許可をいただいていないので掲載はなし。
・イベントフライヤー、チケットデザイン
大分県別府市にて行われるイベント「大分弁と楽しむオペラ」のフライヤーとチケットを作成しました。
ちなみに当日お手伝いとして私も現地にいる予定です。是非来て欲しい。
※1/10追記緊急事態宣言に伴い、中止となりました…
詳細は出演者のふ凡社鈴木さんのブログに記載があります。
「大分弁と楽しむオペラ《愛の妙薬》」中止のお知らせ | ふ凡のすすめ
■2021年やりたいこと
イラストの仕事を増やしたいです。
一昨年までアニメや漫画のコラボカフェ限定SDを不定期で描いていました。まるっこい二頭身、三頭身くらいのイラストが得意です。
今年も引き続き、デザイナー、Webライター、そしてイラストレーターとして動く予定です。どうぞよろしくお願いします。
【告知】演劇発表します!【12/7,12/22】
こちらのアカウントではお久しぶりです。梅子です。
即興劇のワークショップに通うレポを何度か上げていますが、続けています。
あれから半年経ちました。アルコールを入れないと演技ができない私はもういません。
もう入れないとは言いませんが。
そろそろ人前に立ってもその場に落ち着いて居られるんじゃないかということで、人様の前で演技をします。
しかも12月中に2度あります。そのお知らせです。
■2019.12.07(土)
20時~
東高円寺
ピアノバー 音海
https://goo.gl/maps/2uWxQ5fiFznr2KE48
即興劇です。アドリブで演技をします。
お酒の場なので、内容を少し大人な感じかも?
当日ふらっとお越しください。
素敵なBarでお酒を飲みながら観劇しませんか!
終わったらそのまま一緒に飲みましょう!
※飲食店なので食べ物や飲み物の注文をお願いします。
■2019.12.22(日)
一部:14時~ / 二部:18時~(30分前開場)
新宿 歌舞伎町
新宿シアター Fu-(新宿永谷ホール)
https://goo.gl/maps/KrgD6HqYxhaxGNDZ7
料金:1,000円 / 通し料金:1,500円
即興劇です。アドリブで演技をします。
大人数の老若男女がわらわら舞台に集います。
何気に地味ハロウィン参加者がそこそこいます。
年末の息抜きにどうぞ!
※完全予約制です。
ご予約は添付画像に記載のメールアドレスか、twitterから梅子(@umeruko)にご連絡お願いします。
因みにフライヤーは私が作りました。
あたふたしてる私を見にいらして!
お気軽にお越しください~!
宙に浮くりんご マグリットの絵画を再現したい
眠れない夜に浮かぶ幻のような、独特の雰囲気を漂わせる絵画を生み出した人物。
ベルギー出身の画家、ルネ・マグリットという人物をご存知だろうか。
宙に浮いた大きな岩、指の生えた靴、顔を布で覆った男女などといった
数ある不思議な作品のひとつに、『人の子』と名づけられた作品がある。
マグリット本人は自画像として描いたというそれは、どこか歪んだ印象を抱かせる。
筆者のイラストで恐縮だがこのような作品だ。
オマージュ作品も多数存在するので見覚えがある人もいるかもしれない。
(実際の作品:Magritte The Son of Man - Google 検索)
『人の子』は山高帽とコートを纏った男性がまっすぐに正面を向いている油彩画である。
落ち着いた色合いで描かれた男性は、飾り気は無いが身なりは整えられており、几帳面で真面目な人物に見える。
しかし、彼の顔の大部分は確認することができない。
青いりんごが宙に浮くようにしてその存在を主張しているのだ。
本来なら顔が描かれているであろう位置で、である。
その異様さが私の胸をときめかせた。
なんて不思議な人だろう!その裏ではどんな顔をしているのだろう!
ギャップ萌えだ。ゲインロス効果だ。印象操作の効果は抜群だ。
たった一つのりんごが平凡な日常感をぶち壊す。
ミステリアスでスリリングな、このかっこよさを実写写真で再現してみたい。
宇宙人や超能力者ならひょっとしたら物体を浮かせることができるかもしれないが、
ここは重力に縛られた実直な地球人として、浮いて見える工作をすることにした。
工作をするとなったら向かうは東急ハンズ。
あそこの店員さんは、聞けばたいていのことは答えてくれるのでとても信頼している。
先日は割れたつげのくしをくっつける接着剤を教えて頂いた。木工用ボンドで良いそうな。
しかし素直に「顔の前でりんごを固定するために必要な物は何か」と尋ねるなんて悪いことはできない。そんな風に忙しい店員さんを悩ませるなど、人の子ならしないだろう。だがこれについて相談するための正解の言葉が見つからず、結局2時間孤独に悩んで決めた。
最終的に材料として選んだのは、防塵ゴーグルと低頭ねじ、ステー(固定金具)の3つ。
「頭がでっぱっていると邪魔になるのでは」と低頭ねじを手に取ったところまでは私の脳は動いていたと思う。その先の記憶はモヤのようである。
それでもそれらしい物が買えたことに、ほっとしたり不安になったりしながら工作を始めよう。
まず防塵ゴーグルにキリで穴を開けた。
防護器具なので穴を開けるのは難しいんじゃないかと思ったがそんなことはなく、綺麗に穴が空いてくれてほっとする。
そこにステーとねじを取り付けたら完成だ。
買い物が大変だった分、簡単過ぎて拍子抜けした。穴を開けた際に散った削りカスがちゃぶ台の木目に入り込んでしまい、その掃除の方が大変だったくらいだ。
さっそく装着し、部屋にあった適当な箱を乗せてみる。
視界を覆われるので肉眼では確認することができないが…どうだろう。
手探りでカメラを顔に向け、シャッターを押した。
マスクの箱が浮いた!
箱の一面しか見られないため、立体感が感じられない。
薄い紙を顔に貼り付けたようにも見える。
にもかかわらず、お面のように固定されているという印象はない。
よく見ると土台のねじ先が顔を出しているが、もし自分がこの画像だけ見せられたら、どういう仕掛けになっているのか気づけない自信がある。
顔の角度やカメラ位置によっては土台部分も見えてしまうが、
そこさえ気を付ければちゃんと浮いているように見えるだろう。
試しているうちに楽しくなってたくさん自撮りをした。
疲れた顔をしていてもどうせ隠れるので盛れ高を気にしなくてもいい。
写真アプリになかなか認識されない顔面の持ち主としては最高としか言いようがない。
顔が美しく写るアプリの次に流行るのはこのゴーグルだと確信した。
これはかなりいい感じなのではないか。
思いのほか簡単にできてしまってちょっと惜しいが、
身なりを正し、りんごを持って外に出よう。
皆さんこんにちは、今回はマグリットの作品『山高帽の男』を再現してみました…。
まず結果を言うと、りんごは浮かなかった。失敗である。
撮影に付き合ってくれた友人に申し訳なく、気休めにマグリットの別の作品、『山高帽の男』を鳩サブレーで再現。少しでも成果を残そうと迷走した結果のこれである。
元々はりんごを乗せるついでのつもりで用意していたのだが、思わぬ結果にこの日は鳩サブレー感謝の日となった。
因みに山高帽の男は同じく顔が隠された作品で、男性のポーズも服装もほぼ同じ。
しかし描かれているのはりんごではなく鳩だ。飛んできた鳩が偶然写り込んでしまったようにも見える絵で、『人の子』とは違う可愛らしさがある。
(山高帽の男:magritte Man in a Bowler Hat - Google 検索)
さて、失敗の主な原因は重量と形である。
りんごの重みがそのままゴーグルの縁にのしかかったのだ。
短い時間なら平気だろうとたかをくくっていた作りの甘い土台はすぐにぐらつき、球体であるりんごは転がりやすかったというのもある。
ゴーグルが頬に食い込み涙がにじむ。
顔が割れそうな痛みを感じるなかで、支点力点作用点という遠い記憶のワードが脳裏を過った。てこの原理が、顔の上で働いている。
痛みから逃れようとついあごを上げると土台が丸見えになってしまい、思うような写真は撮れない。撮影の一瞬だけでも耐えようと姿勢を正すと、今度はりんごが転がり落ちる。
まっすぐ向き合いたいのに、我慢をして不安定になる。不器用な恋のようだ。
何度も試してみたが、結局どうにもならなかった。
試してくれた友人は「私は頬の筋肉がしっかりしてるから大丈夫!」と言っていたが、表情は無だった。
お礼と謝罪の気持ちを込めて鳩サブレーをプレゼントした。
物が乗らなくもないのだという安心感と、
しかし肝心のりんごは乗らなかったというがっかり感を抱えてその日の撮影は終了。
実験は失敗か?このままりんごが浮くことは無いのだろうか?
冒頭の写真を思い出してほしい。この試みは成功する。
顔の前でりんごを浮かせることは不可能なのか?
見えない部分は無くても一緒なのでは?と、
半ばやけくその改善案としてりんごを半分にカットし、軽量化を図ってみた。
するとどうだろう、軽くなった分痛みは少なく、そしてゴーグルに立て掛ける形になるので転がらず、
りんごは比較的落ち着きを見せた。やはり問題は安定感と重量のようだ。
しかしこれは私が求める画ではないな。
りんごが乗ってくれれば正解だと思っていたが、そもそもゴーグルが大きくはみだしているせいでマグリット感が無い。
顔の前に収納スペースが欲しいのであればこのままでも良いのかもしれないのかもしれないが、こんなに露出しているなんて、最初に試した時には嬉しくて気づかなかった。
人は浮かれると目の前にある現実も見えなくなってしまうのか。
分割したりんごを左右に乗せてみたが、ゴーグルが隠れれば良いという訳でもなさそうだ。
それならばとゴーグルが隠れるほどのりんごを探しかけたが、
冷静に考えてそんな大きなりんご、今度こそ顔が割れる気がしてやめた。
それでもなるべく大きくて安定しそうなりんごを探したり、
『人の子』に思いを馳せているうちに季節は巡り、
街はいつの間にか春の装いを片付けて、あらゆるお店に夏物の商品棚が現れる。
職場の近くの100円ショップには水中ゴーグルが並べられていた。
防塵ゴーグルよりも面積が小さい!
子供用サイズなら大人用よりもパーツが小さいし、黒いグラスなら目立たなそうだ。
これしかないと思い、すぐに手に取った。これで人の子ゴーグル二号を作ろう。
パッケージには「ソフトな顔当たりでお子様にも安心」と書いてある。私の顔面も安心させてほしい。
目に水が入らないようにするためのものにわざわざ穴を開ける背徳感をうっすら抱きながらキリを突き立てた。小さい分少し手間取ったが、作り方は一号とほとんど変わらない。
あとはうまくりんごが顔の前に落ち着いてくれれば、
そして少しでも顔の痛みがやわらいでくれれば万々歳だ。完成した二号を手に、再び外へと飛び出した。
飛び出しました。
季節は初夏。対して服装はシルクハットとコート。
せめて空が実際の絵のように曇ってくれればと思ったが、この日はすがすがしいくらいの快晴。
風景と服装がちぐはぐで合成写真のようだ。
顔につけるタイプの拷問器具ではない。
ニューバージョンの進化具合にお気づきだろうか。
一号は構造的に土台がゴーグルにしっかり止まらず不安定だったため、留めるねじを増やして緩まない形にした。土台のステーも長さを出して安定感アップ。
L型ステーも横から支えてくれる。転がり落ちてしまわないようにつぶ状のすべり止めも設置した。
りんごもこれで少しは安心だろう。
しっかり装着できたところでいよいよりんごを乗せる。
なるべく痛くありませんようにと念じながらそっと。どうだ?
乗った!
りんごの重みを顔で受け止めていることは間違いないが、顔の肉ごと地面に落下しそうな感覚。
ゴムによって顔が締め付けられ、目はうまく開かない。引っ張られるような痛みが強い。
だが、ゴーグルの縁を覆うゴムが当初の問題であった食い込むダメージを吸収してくれている。
これなら我慢できる。
りんごも多少顔を振っても大人しくじっとしているので改善の甲斐があったと言える。
鼻が潰れて呼吸ができないため口が開いている。
この名前には「りんごの王様」という意味を込められているらしい。頼もしい名前にあやかりたかったのだ。ちょっと人間の吐息がかかる仕様の玉座だと思って顔の前にどっかり居座っていて頂きたい。
成功を確信したところで撮影へと移る。ここからはカメラマンが頼りだ。
ローアングルだと金具が見えてしまう。
カメラ位置をやや高めに、少し離れて撮ってもらう。
…浮いた!
自分の視点だと薄暗い視界いっぱいりんごが埋められているので分からないが、
撮影してくれている友人のどよめきで浮いた!と思った。
りんごを乗せたまま小躍りしたい気持ちをこらえてそわそわする。
自分以外の人が浮いて見えると思ったならばそれは浮いているといってよいだろう。
重みで鼻がもげそうであることを知っているのは私だけなのだから。
りんごはりんごで変に体を傾けたりしなければ落ちない。
堂々としていてくれてうれしい。
なお、右腕をやや後ろに回しているのは、絵の人の子の右腕が捻ったような描かれ方をしていたのを再現しようと思ったささやかな気持ちの現れである。
水中ゴーグルはシルクハットの色となじんで目立たなくなったが、
土台の白い部分が少し見えているのでさらに遠ざかってみる。
このりんごの奥で顔がへしゃげているとは誰も思うまい。
遠ざかったら風景に混ざり込んだ異物感が強まった。
人の子というか妖怪のようだ。
コートの下から脚が生えているせいで、そういったタイプの変質者にも見える。
顔の隠している物の怪か、隠しておくべき部分を晒す趣味がある変態か、
どちらにせよ公園で会ったら人に助けを求めたくなるビジュアルだ。
絵ではかっこよく見えるのに別の意味で危険が香りがする。生命の危機である。
空想でのかっこよさと現実でのかっこよさはイコールではないようだ。
しかし、作品が醸し出す不可解さと強烈なギャップは再現できたのではないだろうか。
私とりんごは一回目の撮影とは違う達成感に満ち溢れていた。
『人の子』は、どうしてりんごで顔を隠しているのだろう。
マグリットはこの作品について、
「そこに顔が存在していることは分かるが、りんごで隠れているために見ることができない。
人は、後ろに隠されたものを見たくなる。見えているのに見えないものに関心を持つ。
この隠されたものへ対する関心は、見えるものと見えないものの間で葛藤のような強い感情として現れるかもしれない」
というようなコメントを残している。
見えているのに見えないもの…
承認制の非公開ブログ、玄関や窓を開け放している家の中、思わせぶりなあの子の気持ち、トリミングやスタンプ加工で一部分を隠された写真。
なるほど、見えているけれど見えないものに対する関心は確かに存在する。
そしてそれに対して大なり小なり悶々としている。
でも、彼が言いたかったことをこれで正しく理解できていると言えるのだろうか。
そこでまた頭を抱えてみたり、分かったつもりになって、
今日もりんごの向こうの見えそうで見えない顔へ思いを馳せる。
シュルレアリスムはむずかしい。
ゴーグルを外してもしばらく鼻に赤い跡がついていた。
もしかしたら絵の中の『人の子』も、りんごの向こうで顔を歪めていたのかもしれない。
即興劇のワークショップに参加した話(4)
2回目の演劇レッスン、からの即興劇ワークショップ4回目。今日はレモンビールを入れた。そろそろ慣れてきたような気もしないでもないがまだ不安。お酒を飲むとそのまま太るので、通うのを続けるのであれば止めたい。
今回の身内参加者はいつもの友人と3度目の友人と初参加の友人。合わせて4人。教室に行くといつもより賑わっていて、通ってきた中で一番人数が多くて12人くらい。人数が多い分初参加の友人の演技は見られずそれは残念だった。彼は絶対即興向きなので次は見たい。
内容はこれまで通りのキャッチボール。と、思いきや後半のインプロは台詞無しでの物語づくり。体の動きだけで自分が考えていることを他の人に伝える。
与えられたテーマに沿って頭の中で組み立てたストーリーが、いざ動いてみると全然できない。これで本当に通じるのか?本当にこんな動きをしてたっけ?とか。慣れている人達は一つ一つの動きが大きく丁寧で、実際にその動作をしているようで流石だった。
たまーに、人によってはこうした方がいいよ、とかたくさんアドバイスをくださるのだけれど、とてもありがたいのだけれど、別に怒ってる訳でも攻撃されているでもないのは分かってるけど、小心者的には少しこわい。自分の演技がダメなことはわかっているのでちょっとずつできるようになりたい。と思いつつでもそれは逆に言うと、いつになるか分からないけどできるようになるまで気長に待ってくれという甘えでもあると思う。それも良くない。
帰りがけに先生方から、本人には分からなくてもそう思っている人達がいることは知っておいて。と、梅ちゃんは良いと思うよ、と褒められる?などした。
私からしたら演劇をしている人達こそ独特だと感じているが先生方から見たら私が独特らしい。畑の違いなのか、よく分からない。目指す"普通"が遠いのは分かる。
本レッスンもあるし、ワークショップ参加は今後も続きそうなのでレポート記事は一旦ここで止めたいと思います。まだ気になるという方はただの日記アカウント(https://komedas.hatenablog.com/)を覗いて下さい。行った日にネタとして書くはず。
即興劇のワークショップに参加した話(3)
※正気ではないうちにと演劇スクールの本レッスン受講を決めた。
即興劇のワークショップ三度目の参加。冷たい風に凍えながら駅前で氷結を入れた。
昼間は素面で本レッスン、夜はお酒を入れて即興劇と、朝夜演技をする日曜日。
先生は「こっちが本当の梅子だね」と夜の私を迎えて下さった。酒が入った方が本物。
短い時間でミニゲームのようなコミュニケーションを行う。やることはほとんど同じだが即興なのでその内容は毎回異なる。アドリブ力を鍛えられる。
今回は初参加の友人も1人いた。普段から言葉の回転率が高くて面白い彼女だが、即興劇の前の簡単なコミュニケーションの時点で大変そうにしていた。知らない環境や知らない人達というのも原因かもしれないが、前回初参加だった他のおもしろ友人もそうだった。日常で話す力と、即興で話す力は違うのか?頭を使うところは違う気がする。
自分は慣れてきたのか楽しくできるものと苦手なものが少し分かってきて、何も知らない時とはまた違う理由で苦しんでいる。
他の参加者の演技に乗っかっていかなきゃいけないのに、質問で返しそうになったり、ふわっとしたイメージで口に出してしまったり、要は無意識に他人に決めてもらおうとしているのが厳しい。という自覚が何かをする度にはっきりしてくる。
行った即興はトーク番組、同窓会、ドラマ。
蟹百本釣りのプロを呼んだり、私が学生時代血に染めた先生と結婚したり、話ごとに人が死んだり、人混みと波乗りとネットサーフィンだったり、飛んでいたら鷹に攫われて食べられてスリムボディになったりした。高く飛んだなあ。
ドラマは具体的な妄想(物語づくり)ができる人は得意かもしれない。
まだ常に素面は恥ずかしいのですこしずつ摂取量を減らしていく方式で演技ができるようになりたい。
他にもまだ参加してみたいと言っている友人はたくさんいるので皆でわいわいできたらいいな。
フォロワーさんあたりで興味があるという方は詳細をお送りしますのでご連絡ください。
即興劇のワークショップに参加した話(2)
初めての即興劇ワークショップ参加から一週間が経った。
その間にずっと使いたいと思っていた相手にややぎこちないながらもタメ口で話すことができたので参加して良かったなと思う。
が、それで満足するつもりはないので二回目の参加を決め、切り込み隊長である友人に連絡。
友人「月末なので今週はチームに分かれていきなり人前で演じて競う回だと思います」
ええーー!!!!怖いやだーーーー!!!!
「変わりたいんじゃないのかお前」と諭されながら参加を決めました。
でもやっぱり怖いので直前にハイボールを入れ、へらへらしながら教室へ。
先週より参加人数は少な目。
最初に準備体操という感じで前回やったミニゲームと、それをアレンジしたものをいくつか軽めに行いちょっと安心。一回でもやったことあることがあるだけで気持ちが大分違う。
そこから2チームに分かれて1分、2分、3分、4分、時間が異なる4つの即興劇へ。
その前にチームで事前に簡単なリハーサル。
テーマは直前に相手チームから出してもらう方式なのであくまで流れを理解するためだけの練習。
今回の私たちのチームは
「今日は」「とても」「良い天気だ」など一人一言ずつ回してアドリブで繋いでいき、オチをつける劇、最初の台詞と最後の台詞は決まっていて、最後の台詞を2人以上で言えるようにストーリーを作っていく劇、ベルが鳴る度大げさな演技と普通の演技とで切り替える劇、フリースタイルを行った。
決まっている台詞を言うタイミングが早すぎたり、自信が無く歩き方がおかしかったり、挙動不審だったり、パニックで表情が笑顔固定だったり、一応お客さんが居る形なのに観客側に背中を向けてしまっていたり、
これができてないな!!というのをやってる最中に気付けるくらいの若干の余裕が生まれてて成長だなと思った。
気付いてすぐそれらを正せるほどの力は無いけれど。
終わったあとにもっとこうしたら良かったなという細かな気づきも多々。
感情を言動に乗せられるようになるのはまだ先だなと感じた。
最後にはチームではなく全員で3つのシチュエーションをテレビのチャンネルを切り替えるように行い、最終的に1つのストーリーにする劇を行った。めちゃくちゃ難しかった。記憶力も試される。
演技を切り替える劇では久々に大声(当人比)を出せて良かったな。
チームの方はキャラが立っていて分かりやすく、私のフォローもして頂き、大変お世話になりました…
プー、ピー、おいしい、おいしい、豆腐だよ~、プー、ピー
即興劇のワークショップに参加した話(1)
「考えてることが分かりづらいから距離を感じるというか、感情表現を分かりやすくすればいいんじゃないかな」
人付き合いで悩んでいることを相談している中で友人は言った。
やや言いづらそうに見えた気がしたが滅茶苦茶分かる。反論の余地無し。
twitterで最近よく見る言い回しで言うと分かりみしかない。私のリアクションは基本的に控えめである。
人からプレゼントをもらった時のリアクションで例を挙げると、
「えっ、いいんですか?頂いてしまっても…ありがとうございます」
大体こう。そしてそう言ったあとにその頂いたものについて、ありきたりな感想や質問を述べる。かわいいですね、どこで見つけたんですか?
プレゼントは本当に嬉しい。しかし、その感情を言葉に乗せるのが苦手だ。
なんならこの言葉も、何かをもらった時に言うフレーズとして言っているところがある。どんな風にすれば良いのか分からないから。
こうなってしまった根本の原因は分かっているがそれについては今更どうしようもないことだ。
でも現状を変えたい気持ちはある。
実は数年前に、今回の友人の意見と似たことを別の人にも言われていた。
その時はその時でコミュニケーション能力を上げる為に頻繁に合コンやパーティーに身投げするなどしていた。
異性交遊的な成果は得られなかったが、まあまあ鍛えられたつもりでいた。
しかしそれでは補えなかった部分があるのだ。
それでは、それをどこで身につけるか。
同席していた別の友人は言った。
「演劇を学ぶのはどうですか」
演劇経験者である彼曰く、演劇スキルが身につくと日常での感情表現の幅も自然と広がるらしい。
よしやろう。
演技なんてできる気はしないが、友人がそう言うのならやろう。
彼に誘われて次の週末の夜早速演劇の学校に入り込んだ。
そこでは誰でも参加できる即興劇のワークショップが行われていたのだ。
演劇なんて義務教育時以来だが、初心者も参加可能の優しい会で安心。
とはいえ人見知りなので他の友人も誘ったが。
予めハイボールを一杯入れ、「初めてなのでめちゃくちゃ緊張しています!」と保身をしつつ簡単に自己紹介をして、2時間の即興劇体験が始まった。
感想を言うと、演技らしい演技を挟む余裕はなかった。緊張してる暇もない。必死。でも誰も怒ったり否定したりしないので上手くできなくても楽しい。
この教室ではひとつにつき10-15分程度のミニゲームを通して、性別も年齢もバラバラな他の参加者と様々なアクションのやりとりを行う。
決められた言葉を交互に投げかけていくゲームから始まり、
徐々に想像力、アドリブ力が必要なものへと少しずつ難易度が上がっていく。
(つい面白い事を言おうと考えてしまうが突飛なものを求められている訳ではないのでなんでもいい)
そして終わりの頃には複数人で決められたテーマで即興劇を行う。
観客はいないので仲間内での雑談中に全員で小芝居をする感じだ。
どのゲームでも、とにかくやらねばという気持ちだけで動いていたが、驚いたのは『全員小学校の仲間。同窓会での数十年ぶりの再会』がテーマの時。
日頃、標準語でのタメ口が使えない、東京では方言は出せない、と常に敬語で話していた。
ところが設定のおかげとはいえ故郷で使っている方言タメ口がヌッと出たのだ。びっくりした。
先生役の方には敬語、同級生には方言タメ口の使い分けもできていた。本当にびっくりした。
これについては既に日常に影響が出ているのも驚きである。
標準語に囲まれた環境での訛りにはまだ抵抗があるが、口調の切り替えに対する心理的なブレーキは和らいだように感じている。
普段話す速度も頭の回転も遅いため他の事を考えている暇もなく
家を出る5分前に起床した時のような慌ただしい瞬間のような、頭がフル稼働している状態を2時間続けている感覚だった。
終わりの時間を迎えるとほっとしたやら名残惜しいやら、少し清々しい気分だった。
一緒に初参加した、普段楽しく陽気な友人が「いつもならもっと面白い事言えるのに」と落ち込んでいたのも印象的だった。いつもできていることができなくなるというのはどういうことなのだろう。
リアクションをする前に考えてしまう癖、意見や感じたことを飲み込む癖をここで改善することができたらとこのワークショップに通う事を決めた。
コミュニケーションの度に起こる、胸の奥に何かが詰まるような感覚を払拭できたら万々歳である。
演技力は営業系の仕事にも有効とのことなので仕事でのコミュニケーションに悩んでいる人にもオススメ、かもしれない。
今後もこのブログで記録を行っていきたい。